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【負のエネルギー】サイレントマジョリティの暴走【今更&長文】 [ちょっと文筆]

2ちゃんねるという匿名掲示板がある意味で「情報発信言」となって久しい(「前身のあめぞうからだろ」とか言うのは無しね。更に「パソ通が…」はもっと無しねwキリが無いから)。

情報といっても玉石混合、リテラシーの重要性が説かれている昨今は「ただの石」を見分ける事くらい容易くはなってきている。が、その匿名性ゆえに勝手な事を書き散らせる状態は放置されたままである(ま、事件性があればlogからIP辿って発信源を突き止められるので厳密に言うと匿名ではない)。

帯域の広がりと発信手段の多様性が増す事で、ますますネットベースの情報源が増えている、Blogや地域(組織)限定掲示板等が主な代表といえる。
更に携帯電話とのシナジー効果により小学生でも情報の発・受信が容易に行える環境が整っている状態なのである。

そこで気が付いたのだが、そういった「情報の渦」に所謂「サイレントマジョリティ」の腹の中が見え隠れしているような気がするのである。

実名を掲げて情報を発信するのは危うい。
それは「伝えたい事を正確に伝える為に必要な語彙数が圧倒的に足りない」と言う事と「完全にアンチサイドに立ってモノを見る存在がある(アンチテーゼ)」事、そして「批判する為に実名を出す必要が無い」という事である。

そんな事はここ数年の間に幾度と無く語られているので「だから?」と言われそうだが、だからこそ先ず大前提として書いておく事にする。

本来「発言力」とは、その人が実体として影響力を持っていない限り存在し得ないものだった。
が、現在は誰もが公的に情報発信できる事が可能になり大衆の共感を得る事が出来れば、それ即ち「力を持った発言」と成り得るのである。
そして、これまた今更だが「大衆の共感」に真実は必要無い(極論だがたぶん正論)、『大衆の興味をそそる事が出来れば良い』だけの事なのである。

従来そういった役を担っていたのは「大衆誌」である(欧米ではタブロイド誌)。
しかしながら、彼らは実体を晒す必要があったため(発行元、印刷元と言う実体。また広告収入も無視できない現実)、情報ソースに対しある程度信用の担保を必要とせざるを得なかった。
それらの呪縛から割と開放されていた雑誌に『噂の真相』と言うものがあったが、現在は休刊中である。
この「休刊(紙媒体を捨てた)」という理由に「ネットの存在」があるような気がするのは私だけではあるまい(Web版があるからね)

閑話休題

「大衆の興味をそそる情報」をネットしていれば誰でも発信可能と言う状況は面白くもあり、厄介でもある。
昔から「火の無いところに煙はたたず」と言うが、現代はそうでもないようなのである。
『釣り』と言うのが良い例で、実体が無くとも喰いつき易いエサを流すと、勝手に枝葉が付いて「あたかも実際にあった事」のようになってしまうのである(徹底的に調べる暇な人が居て「壮大な釣りでした」と判って初めて嘘だったことを知る事も少なくない)。

ではなぜ釣られてしまうのか?
私は心理学の専門家でもなければ、根本を突き詰めようなんて気すらサラサラ無いのでその辺りは専門家に徹底的に追求してもらいたい(なげやりでスイマセン)
ただその(釣られる)直前の現象は説明可能で、それは「興味本位」や「覗き見根性」と言うヤツである。
別に本気で知りたい訳ではなく、「キャッチーな見出し」に惹かれたり「著名人の醜聞」を覗き見たい…そんな程度の動機付けで行動してしまうのである。

しかしその動き自体は「大多数の意見」に近い。と言うか「大多数の意見」そのものである。
これまた古い言葉だが「一億総ジャーナリスト」な性質は現在進行形で人々の中で進化し続けている(少なくとも紙媒体からネット媒体へと進化している)。
ネットが張り巡らされたおかげで「距離」も「時間」も防御壁としての意味を消失してしまった。

ここに『政治的意図』が入り込んでくるとどうなるか?
「選挙結果」が「国民の総意」だった旧態然の構造にガタが出始める。
そして、現実問題として「選挙結果が国民の総意」とはもはや形骸と化しているのは周知の通りである。

以上の事をひっくるめて考えると…
もはや「サイレントマジョリティ」はちっともサイレントじゃなかったりしてるんじゃないか?
と思うに至るのである。

・誰でも自分の意見を述べる事が出来る(私のように)
・しかも自分の実体(本名や身分)を晒す必要が無い
・誰でも、距離、時間を気にせず情報に触れることが出来る
・サーチエンジンを使えば、望む情報は幾らでも手に入る
こんな環境下では「モノを言うな!」と言う方が無理な注文である事はもはや自明。
言いたい事を容赦無く書き込みまくるのである(たまに後先考えない人が「いけない書き込み」をして逮捕されていたりもするが)。

だがしかし、国家を運営する部分に対してのインパクトが少ないのも事実です。
あ、勘違いされると嫌なので書いておきますが、私は「革命家」ではありません。事実を述べているだけであって、左翼的扇動をするつもりもありません
古い表現では「黙殺」、今風に言えば「スルー」といった感じで、何のインパクトも持ちません。
が、しかし、そこに「疑問」が生じる事だけは事実です。

今までTV、新聞、雑誌でしか情報を手に入れることが出来なかった人達が「インターネット」と言う新しい(もう古いけど)情報源を手にした訳です。
しかもそれは情報を受け取るだけでなく、自分から発する事も容易に出来るのです。

さて、そのような力を手に入れた人達は何をするのでしょうか?
それは歴史から学び取る事が出来ます。
「フランス革命」の直後に近い状態なのではないか?と考える訳です。
それまでの時代は貴族政治(社会)で、貴族以外の人々は発言力を持ちませんでした。
が、革命直後、貴族以外の人達は『市民権』という権力を持つようになりました。
権力の使い方を知らずにいきなり権力を持ってしまった結果、市民は悪賢い権力者に利用され政治は混迷しました(かなりザックリ説明ですので、ノークレームでお願いします)。

それに近い状態が「ネットによる情報受・発信」で起きているように感じられるのです。
力を手に入れたは良いが、それを最も有効に使うためのパラダイムが形成されていない…そんな感じです。
だから、時の権力者に利用されてみたり、第三権力といわれるマス・メディアからは「闇サイト」のような影の部分に焦点を絞られ『インターネット≒悪いモノ』と色んな悪い事の根源みたいに扱われたり…と狡賢い奴らに利用されてしまう訳です。

しかしながら、「狡賢い奴らに利用されている」と被害者面している人達の中に実は「狡賢い奴らに加担している」と言う自覚を持たない人達が居る…と言う状態の方がより深刻な問題だったりするのです。

『サイレントマジョリティがサイレントでなくなり、物言う人が実は自発的な発言をしていない(操られている)』これが現在直面している問題でしょう。
更に突っ込むと『ネットという新しい情報と接する為のパラダイムを見つけられないが故に、嘘をついたり人を傷つける事への罪悪感を感じない』というリアルな恐怖も個々人に降りかかっているのも確かです(対面では嘘や暴言への罪悪感がある人でも、ネットでは無くなる人も居るという事です)。

時代は刻一刻と変化し、技術も科学も進歩して止まる事を知りません。
が、化石燃料の限界(採取可能な期限が近い)を感じ始めている現在、産業革命以来の新しい時代への節目が来ているのも確からしい事実です。
これから更に新しい技術や考え方が生まれてくるでしょう。
ただ、その技術との『正しい付き合い方』を一人一人がきちんと模索しないと、集団ではなく個人に災厄が降りかかる事を忘れてはいけません。
もはや我々は『サイレントマジョリティ』では無いのです。


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